「ねぇねぇ、つきあいながいけど、聞いたことなかった気がする。庸子はどうしてそんなに成功してしあわせになれたの?」
「う〜ん、どういうのが成功か、わからないけど・・・」
「プライベートも充実してて、スイスに別荘があって、起業したビジネスも順調そうだし。そういうのを、しあわせで成功してるっていってもだれも反対しないと思うよ」
「そうなのね」
「そうなのね、じゃないわよ。なにかきっかけがあったの?」
「うん、まぁ、あるにはあったけど」
「教えて教えて」
「うぅぅん・・・」
「聞かせてよ」
「いいけど、若いころの思い出ばなしみたいなものだから、たぶん、聞いてもおもしろくないと思うよ」
「いいよいいよ。聞かせて」
「むかしつきあってた彼がね、『庸子と別れようと思ってるんだ』みたいなメールを友達としてるのを見ちゃってさ。あたしはまだ好きだったからあせったのよ」
「ふんふん」
「本当にわかれるつもりなのか、さぐってみたりしたわ。自分でもよくわからないんだけど、まだ友達と相談してるレベルだからさ、修復はできるだろうって思ってたんだろうね」
「修復できた?」
「ううん。もちろん、どんどんこじれて、わるい方向へいっちゃったわ」
「え? そうなの?」
「うん。『メール、勝手に見たの?』とか」
「あらら」
「あたしは、どうしてか熱くなっちゃってさぁ。『もういいわ。全部あたしがわるいみたいだから、死んでやる』とか、わけわかんないことになっちゃって」
「なるほどぉ。パターンとしてはあるよね。男って、本気であせらせないと動かないよ、まったく」
「いま思えば、全然、死ぬ気なんかなかったんだけどね」
「彼のこと引き止めたかったんだよね。彼も鈍感すぎるよ。庸子がそこまで思ってるっていうのに」
「そのときは、あたしもなんだか自分のドラマにひたってたから、本気で死んでやるぅって思ってると信じ込もうとしてたんだろうね。なんか、話がややこしいか」
「ううん。そんなことないよ。それでどうなったの?」
「彼、あんまり、とりあってくれなくてさ」
「あちゃぁ、ダメ男じゃん。にぶすぎでしょ」
「そうそう。あたしもそのときはそう思ったのよ。本気で死ぬつもりだってことが彼にはわかってないんだわ、って思ったから、これはあたしの本気さを見せてやらないとって思ったの」
「ふんふん。見せちゃえ見せちゃえ」
「もう、どこまでも、あたしが間違えてたのよ。」
「え? どうして? 庸子にそんな思いさせるんだから彼だって責任あるんじゃないかな。だいたい、にぶすぎるわよ、その彼。全面的に彼がわるいくらいよ」
「いまから考えれば、本気で死にたかったらとっとと死ねばよかったのよ」
「まぁ、それはそうかもしれないけど」
「なのに、本気で死ぬ気があるところを見せてやろうなんて、ほんと、自分でもあたまおかしかったって思うわ」
「それからどうしたの?」
「それでね。ナイフを持って彼の家にいったの」
「やるねぇ」
「そうなの。笑えるけど、けっこうそのときのあたし、元気でさぁ。やる気満々だったわけよ」
「ははっ」
「それで、彼の家にいってさ、話してみたら、やっぱりわかれるって言うのよ」
「うんうん。彼の気持ちは変わらないわけね」
「うん。っていうか、あたしが死ぬ気もないのに死ぬなんていってるからさぁ、どちらかっていえば、わかれる決心が強まってるわよね」
「そうか」
「それで、ナイフをだして、『じゃぁ、あたし、死ぬね』とか、か細い声でいっちゃったのよ。いまなら完全に笑い話だけど、そのときは真剣だったっていうか、まともなことやってるって感覚だったのね」
「うんうん」
「元気満々で乗り込んだのに、急に、か細い声だしたりしてさ。」
「うんうん。彼はあせったでしょう?」
「えっと。それがね、全然、あせんないのよ」
「まじで? その状況であせらないってどういうことよ?」
「いやぁ、どういうことだか、あたしにもさっぱりわかんなくてさぁ。いつのまにか、あたしがあせって追いつめられてたのよ」
「そういうことか」
「そうそう。彼は平然としてるのよ」
「で、彼はなんか言った?」
「うん。『見届けてほしいの?』って聞かれた」
「なんじゃそりゃ? その彼ってもしかしてちょっとあたまおかしい?」
「ははっ。どうだろうね。少なくともあたしよりぜんぜんあたまいいって今では思うわよ。」
「うぅん、わからんなぁ」
「まぁ、それでね。『見届けなくてもいいわよ。ここで死んでやるから、一生後悔すればいいわ』って言ったのよ」
「なるほど」
「そしたら『一生後悔してほしいんだね?』ってまた聞かれたのよ」
「えぇぇぇ、ついていけん、わけわからん」
「ん? どのへんが?」
「だって、会話がぜんぜんかみあってないじゃん、やっぱその彼、おかしいよ」
「あたしもね、最初は混乱したんだけど。『死んで一生後悔させてやるぅ』って言ってるのはあたしのほうだし『一生後悔してほしいんだね?』って聞かれるのは当然だなって」
「はぁ、まぁそうか」
「しばらくそんなやりとりがつづいて、あたし、ナイフ握りしめてる手も疲れきっちゃっててさ。ふと考えたの」
「なにを?」
「彼に聞かれたこと。あたしは彼に一生後悔してほしいのか? って」
「こたえは?」
「一生後悔されたところで、なんにもいいことないなって、当たり前のことをぼぅっと考えたの」
「なるほど」
「それでね。あたし、自分がなにを求めてるかぜんぜんわかってないじゃんってそのとき思ったのよ」
「どういうこと?」
「わかれたくないのか、死にたいのか、一生後悔させたいのか、なんにも考えずに行動してるなって」
「なるほど」
「子どもに好かれようとしてどんどん嫌われる親みたいなものね、きっと」
「あぁ、たしかにそういうのはあるよね。それで、彼とはどうなったの?」
「その日は、結局、つかれきって『もういい。帰るっ』とかいってあたしは彼の家を飛び出したの」
「うんうん」
「ホントは、話すネタが切れて、困ったから、たんかきっただけなんだけどね。っていうか、ふられてるしね」
「ふんふん」
「それがさぁ、こんな話、していいのかどうかわかんないけどさ」
「なになに?」
「ここからが問題なのよ」
「今までも十分、問題山積だと思うけど、まぁいいわ。それで?」
「帰り道、もう夜中になっててね。よほど疲れた顔をしてたのかなぁ、わかんないけど」
「どうしたの?」
「警官に止められてさ。『どうかしましたか?』とかって言ってくるのよ」
「ほぉ」
「なんかさ、やたら偉そうな口調で、『しごとしてまっす』って感じで」
「警官ってそんなもんだよね」
「どうもしませんけどって言ったんだけど、『ちょっと話聞かせてもらえますか?』みたいに、やたら低姿勢で言ってきてさ」
「職務質問って感じ?」
「感じっていうか、職務質問だね」
「そうか」
「たぶんあれだよね。疲れて、もうろうとした感じで夜中にふらふら歩いてたからドラッグかなんかを持ってるって思ったのかな、わかんないけど」
「なるほど」
「カバンを見せろっていうわけよ」
「完全に職務質問だね」
「そう。『どうぞ』ってなげやりにカバンわたしたのよ」
「うん」
「でも、直後に、『やべっ』って」
「なになに?」
「だって、ナイフ入ってるじゃん」
「あっ、そっかぁ」
「そうなの。運悪く見つかっちゃってさ。『署まで来てもらえますか』なんて、神妙にいっちゃったりしてるわけよ」
「ふんふん」
「断ったんだけどさ。『面倒なことになりますよ』みたいなことをしきりに言ってくるのよ」
「すでに十分面倒なことになってるけどね」
「そうそう。そうなんだけど、しつこいからしかたなく行ったの。しかもあれよ。ナイフっていっても、スイスナイフみたいなかわいいのじゃなくて、道具箱にあった刃渡り何十センチっみたいなやつ。お前はランボーか、みたいなやつだったから。しかたないかなっていうのはちょっとあったんだよね」
「なるほどね」
「『署まで』みたいに言うわりには、いったらただの交番なのよ」
「交番と署はちがうでしょぉ」
「だよねぇ、あたしもそう思う。でね、『軽犯罪法違反』とか言ってくるのよ」
「え? なにそれ?」
「あたしもわかんない。なんか刃物とか持ってるからってことじゃないかな」
「へぇ、そんなのあるんだ」
「わかんないけど、そう言うのよね。まったくどうかしてると思うわ。もっとやることあるでしょって。もっと大切なことがあるでしょって。腹立ったわ」
「ほんとね」
「どんどん、わけわかんないことになるんだけどね」
「うんうん」
「『今から書類つくるけど、あなた、有罪になりますよ』とか言うのよ」
「え? ありえないでしょ」
「だよね。だからね、そうですか、どうぞって言ったのよ」
「うん、そりゃそうだ」
「でもね、なかなか書類つくる気配がないのよね」
「ふんふん」
「過去にナイフを持ってて有罪になった人の話とか長々とするのよ」
「うざいね」
「『有罪になったらしごともできなくなって』とか言うんだけど、どうしてほしいのか全然わからなくてさ」
「そりゃそうだ」
「小学生のころに体育館にあつめられて、わけわかんない道徳アニメ見せられてる気分なのよ。原爆はつくるな、みたいな理解でいいのかこれは? 言われなくてもあたしの知識じゃつくれないよ。体育館の床つめたいし。みたいな感覚」
「あるある」
「あたしもう、へとへとでさ、そんなのが延々とつづいたの。それで、うとうとする感じだったのよ。眠くてさ。そしたら、突然、びっくりよ」
「え? なに?」
「あたしのカバンのなかからドラッグが出てきたとかいって、白い粉の入った小袋を見せて、あたしの手にわたすのさ」
「まじで?」
「まじで。こんなの入ってるわけないじゃないって投げつけてやったわ」
「そりゃそうだ」
「警官が小袋を拾おうとした手を見てびっくりよ」
「どうしたの?」
「手袋はめてやがるの。さっきまで、はめてなかったのに」
「まじで? ハメられたってこと?」
「うん。どうやらそうらしい」
「最低」
「『これ持ってるだけで2年くらいはなりますよ』とか、へんに低姿勢で、もうイライラしたわよ」
「それって、犯罪の域じゃん」
「そうそう。まぁ、でもよくあることなんじゃない。たぶんね。何回もやってそうな、こなれた感じだったもん」
「ありえん」
「だよね。でも、ありえるんだよ」
「そうみたいね」
「そうそう。それで、そのうち、あたしの胸触ってくんのよ、そいつ」
「ここまできたら、へんな話だけど、それはある意味想定内だわ」
「だよね。あたしそのとき、自分でもおどろくくらい冷静でね」
「ほぉ」
「胸揉まれながら、さっきの彼の話とか、自分が死ぬっていったこととか、細かくイメージがあたまのなかに浮かんでくるんだよね」
「あたしにはわかんないけど、たぶん、BGMは中島みゆきとかだね」
「ははっ、そうかもね」
「それで?」
「それで、あたし途中で交番から逃げて帰ったの」
「『途中』って、よく意味わかんないけどね」
「だね。まぁ、胸揉まれてる途中って感じぃ。笑えるね」
「ごめん。笑っていいかどうか迷うわ」
「もう、そろそろ朝日がのぼろうとする時間だったよ」
「へとへとだね」
「うん。で、のぼってくる朝日を見ながら歩いて帰ったの」
「うんうん」
「でね。朝焼けがきれいなんだけどさ、あたまんなかでは『だめだこりゃ』ってセリフがエンドレスでながれてるのよ」
「えぇ? なにそれ?」
「あたしもわかんない。だれだっけ、あの、踊るのおじいちゃん・・・」
「いかりや長介でしょ」
「あ、そうそう。その人の声で『だめだこりゃ、だめだこりゃ』ってエンドレスよ」
「ははっ。なんとなくわかる気がする自分がこわいわ」
「それでね、必死でいかりや長介をあたまから振り払おうとしたのね」
「うんうん」
「そしたら、始発の電車の音が聞こえ始めたの。がたんごとんって」
「うん」
「それがさ、だめね、あたし。もうおかしくなってるから。がたんごとんってのが、あかんあかんって聞こえるのよ」
「ははっ。徹夜だしね」
「そうそう。それを追い払おうとしたら、また、いかりや長介が出てくるの」
「ははっ。そのうち、いかりや長介の顔した電車が走るんじゃない?」
「そうそう。そうなの。なんでわかんの?」
「いや、まじですか。冗談で言っただけなんですけど」
「それが、まじなのよ。トーマスでも見方によっちゃこわいじゃん?」
「ははっ。そういわれるとそうだね。しかも、いかりや長介だもんね」
「そうなのよ。笑い事じゃなくって。こわかったのよ」
「なるほど」
「それで、あわててたら、道ばたの看板にぶつかっちゃって」
「ふんふん」
「それが『役不足』とかいう、やぼったい名前の居酒屋の看板だったの」
「うんうん」
「そしたらさ、麻美、覚えてるかなぁ、だいぶ前の彼なんだけどさ、広告代理店だかなんだかに勤めてた彼なんだけど」
「あぁ、泰雄くんだっけ?」
「そうそう。よく覚えてるね」
「うん。けっこうインパクトあったよ」
「だよね。その彼がね『役不足ってのは、役者のちからぶそくだって勘違いされることが多いけど、本当は役者の実力に対してあたえられた役がたいしたことないって意味なんだ』とか言ってたのを思い出したのよ」
「あぁ、奴なら言うね」
「あたしもそのとき、じゃまくさいなぁって思ったんだけどさ、『ふぅうん』とか言ってとりつくろったんだよね」
「それも、たいがいな返事だと思うけどね」
「まぁね。ははっ。それでね」
「うん」
「素直に生きなきゃだめだこりゃって、そのとき思ったの」
「ふんふん」
「警官もさ、はじめから『乳揉ませろ』って言えばよかったのよ。だからって揉ませるわけじゃないけど」
「ふんふん」
「あたしもね、彼に『あんたが好きだぁ。一生愛してるぅ』って言えばよかったんだよ」
「うんうん」
「シンプルに生きないと人生つまんないなって、なんかそのとき納得しちゃったんだよね」
「ふんふん」
「次の日、彼に電話して『ありがとう』って一言だけつたえたのよ」
「その展開は、彼もびっくりしたんじゃない?」
「ううん、だって、あたしがナイフ出しても動じない人だよ。『ありがとう』じゃ、びっくりしなかったわ」
「そっか。彼はなんて?」
「『うん、ありがとう』って」
「ほぉ。電話はそれだけ?」
「そう。あたし電話を切ったあとしばらく動けなかった。涙がとまらなくて。それがさぁ、気持ちいいの。生きるって、こんなにシンプルでいいんだって思ったのよ」
「ほぉほぉ。『こんなに』っていうのが何を意味するのかわかんないけど」
「それからはね、あたしの人生いつも絶好調なのよ」
「わかったようなわかんないような」
「そう?」
「一般人のあたしとしては、飛躍してる感じがするのよねぇ。そのさぁ、その後、彼とはどうなったのかとか、どうして泣いちゃったのかとか聞いてみたいわ」
「いいけど。長くなるかもよ」
「よし。店かえて飲み直そう」
最近のコメント